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新刊ニュース『女帝から見た古代史の人実』このメールで注文受付中

はしがき≫

タイトル;女帝から見た古代史の真実

登場人物:

・女王卑弥呼(約200年〜400年代・弥生時代)

・推古天皇(約500年〜600年代・飛鳥時代)

・皇極天皇・斉明天皇(宝女王)(約600年〜680年代・飛鳥時代)

・持統天皇(600年〜700年代・飛鳥・奈良時代)

歴史は過去の変遷を語りまた綴り記録したものです。私たちはその歴史を学び過去の出来事として受け止め認識する。具体的には歴史書を読み、経験の長い人々の語りに耳を傾けたりして、それが歴史として認識される。特にタイトルに合った本、過去の資料や文献を読み、歴史を再認識する。そのほか遺跡等考古学的アプローチがある。現代考古学のレベルは非常に高度で一辺の欠片からも往時の文化を読み取ってしまう。違った側面では祭り文化を紐解き歴史の始まりを研究できる。さらに歴史的交易関係にある国の資料も大いに検証でき重要な史料となる。日本では魏志倭人伝(三国志の一部)は最古の史料として注目されている。お隣の韓国の民主化が進み、史料が公開されれば更に詳しく歴史を学べる。なぜなら高句麗、新羅、百済、任那等は日本より古代文明は進んでいたと考えられるからである。特に百済の聖明王から552年仏典と仏像を欽明天皇が受け取ってから急速に文字文化が進展した。国内では古事記や日本書紀、万葉集の記述が史料としての評価は高い。しかし『歴史書は書き記す瞬間に偽書となる』という言葉がある。歴史は勝者の論理で綴られ、弱者の真意が抹殺されるからである。全ての歴史書はこの論理で綴られている。だから歴史書は人類社会の変遷の一部を表現したものにすぎないと考えるのが正しい。しからば歴史の真実を知るには、どうすればいいのでしょうか?そのヒントは古代の女性に着目しどんな言動を残したかを丁寧に分析することにあります。歴史上の女性を特定しその人物の環境や、おかれた身分、政局、自然環境等に照らし合わせて状況の検証をします。出来るだけ想像力をもって近づくのです。古代の女性を特定しその人物から見た状況分析を追跡してみれば勝者の男性に見られない、面白い歴史が見えてくるかもしれない。ここでは四人の女王・女帝を取り上げ彼女達から見た歴史の真実を探ろうとするものです。仮説や推理に託しますからあくまでも、そう言う視点が歴史には隠されていることを認識して頂ければ幸いです。

 以下は目次ですがこの内容で講演実施致してます。このメールで御用命下さい

≪目次≫

1―古代史を変えた女、女王卑弥呼

2―記紀では卑弥呼を何故隠すのか?

3―卑弥呼は実在したし、一派も生き続けている

4―宇佐八幡神と卑弥呼の関係

5―記紀では卑弥呼に見立てた人物が多数いる

6―邪馬台国は最強の国であった

7―日本最初の女帝、卑弥呼を信じ、 公認したい

8―卑弥呼は今も生き続けている

9―卑弥呼の次の女王は誰か

10―女帝推古天皇が日本の独立を最初に考えた

11―推古天皇が考えた国の独立と証明

12―推古天皇の目指す国家とは

13―間違っている推古天皇のイメージ

14―推古天皇と朝鮮半島・中国情勢

15―謎の多い宝女王の結婚

16―宝女王(斉明)は何故皇后になれたのか

17―葛城皇子(天智天皇)は漢皇子ではないか?

18―宝女王の最初で最後の大勝負!

19― 蘇我本家の滅亡と皇極体制の確立

20―斉明天皇誕生(重祚)と百済支援

21―斉明親子の謎の石の拘り

22―斉明天皇は高向王を諦め無かった

23―斉明の息子、天智の命を掛けた戦い

24―斉明の子、兄弟での決戦

25―天智天皇の言い分

26―額田王女を諦め切れなかった大海人皇子

27―鵜野讃良(持統天皇)と鏡王女の二人が歴史を変えた

28―娘、鵜野讃良(持統天皇)に裏切られ、取り巻きに嫌われた天智

29―鵜野讃良(持統天皇)は父を捨て、夫大海人皇子に就いた

30―鵜野讃良の願い、無事吉野宮に辿りつけるか?

31―壬申の乱は鵜野讃良の勝利とも言える

32―皇后鵜野讃良と天武天皇の微妙なズレ

33―第一の犠牲者大津皇子を皇后は標的にした

34―第二の犠牲者、高市皇子を皇后は標的にした

35―持統天皇の不可解な行動と不比等との密約

36―持統天皇の本音と万葉歌

37―持統天皇最後の願いと天皇継承の野心

38―持統天皇の後継者の恐るべき対策とは

39―持統天皇は奇策で望みを橘三千代に託した

40―持統天皇の奇策を実行する不比等

41―持統天皇との密約をはたした橘三千代

42―三千代が持統上皇との密約を実行に移す

43―持統天皇の怨念と、宮子との壮絶な戦い

44―宮子の真実と橘三千代の出番

45―持統上皇の密約を知った聖武天皇

46―女帝の怨念と復習を開始した聖武天皇

47―持統天皇は女帝として初心を貫いた